【大阪】「旧」淀川って何? 大阪城から13kmの夜ランで見つけた明治の話

2020年5月12日の夜、大阪城から川沿いを走ってきました。

鈍った身体にムチを打つためのランです。大阪城公園を出て、川に沿って淀川との合流地点まで行って、折り返す。13.1kmでした。

走りながらひとつ気づいたことがあります。この川、「旧淀川」という名前でした。淀川の名前を取られたんでしょうか。川の世界にも下克上があるのか。

あとで調べたら、だいたいそういう話でした。

目次

コースデータ

場所大阪城公園〜旧淀川(大川)〜毛馬閘門/大阪市
日付2020年5月12日(火)
ルート大阪城公園〜大川沿い〜毛馬閘門(淀川との分流点)で折り返し〜大坂橋〜大阪城公園
距離13.1km
のぼり/くだり41m/42m
行動時間1時間29分(18:55〜20:24/休憩0分)
コース定数11(やさしい)/標準タイム4時間13分
天気晴れ
種別ランニング(ソロ・夜ラン)
Download file: withmountain_20200512.gpx

大阪城公園を出て、川へ

夕暮れの大阪城公園。並木道の先に薄明かりの空が広がっている
大阪城公園。18時台でこの明るさ

18時55分にスタート。19時6分、大阪城公園の中です。

5月なので、この時間でもまだ空に明るさが残っています。夏至が近づくと夜ランの入口が伸びるのがいいところです。

川沿いの遊歩道から見た対岸のマンション群。街明かりが水面に映っている
明かりがキレイで道も走りやすい

19時15分、川沿いに出ました。

対岸のマンションの明かりが水面に落ちています。遊歩道が整備されているので、信号にも車にも止められずに走り続けられます。

ひとつだけ困ったのが、マスクです。この日は2020年5月12日。まだ緊急事態宣言の最中でした。走るとマスクの中だけ暑くて、うっとうしい。当時はみんなどうしていたんでしょうか。

折り返し地点は、川の分かれ目でした

夜の川面に対岸の街明かりが長く伸びて映っている。奥に橋のシルエット
ここで折り返し。川の分流地点

19時36分、折り返し地点。ここが川の分かれ目です。

暗くて広い水面に、対岸の明かりが長く伸びていました。街の中とは思えない静けさです。

コンクリートの構造物の壁に「毛馬こうもん」と大きく書かれている
こうもん。漢字で書くと閘門

「毛馬こうもん」。ひらがなで書かれると一瞬なんのことか分かりません。

漢字だと閘門です。水路の途中で船を上下させる装置のこと。

毛馬水門(毛馬閘門)は、大阪市北区にあって淀川と旧淀川(大川)を隔てています。大川に流す水量を調整すると同時に、淀川と大川の水位差で通りにくくなる船をスムーズに通すための設備です。最初の毛馬洗堰と毛馬閘門ができたのは1907年(明治40年)8月。2008年6月9日には「淀川旧分流施設」という名称で、毛馬洗堰と毛馬第一閘門が国の重要文化財に指定されています(Wikipedia「毛馬水門」)。

夜に走って折り返しただけの場所が、重要文化財の隣でした。

「旧」淀川という名前

国土交通省の緑色の河川標識。「一級河川 旧淀川」と書かれている
旧淀川って言うんですね

19時48分。国土交通省の標識に「一級河川 旧淀川」とありました。

「旧」が付いています。走りながら、この川は淀川に名前を取られたんだろうか、と思っていました。

調べてみると、経緯はこうでした。

明治18年(1885年)、大阪を相次いで低気圧が襲い、淀川の堤防が決壊しました。約15,269町歩が最大13.3尺浸水し、家屋の流失が約1,600戸という大きな被害です。これをきっかけに明治29年(1896年)に河川法が制定され、「淀川改良工事」が始まりました。街の中心部から離れた北側に新しい放水路を開削し、川幅を大きく広げて、大雨のときに大量の水をまっすぐ素早く海へ流せるようにしたのです(国土交通省 近畿地方整備局)。

つまり、いま「淀川」と呼ばれている川は、明治時代に人が掘った新しい川です。

その新しい川は当初「新淀川」と呼ばれ、もとの本流が「淀川」でした。ところが1907年(明治40年)以降、もとの本流が旧川扱いになり、呼び分けはだんだん「淀川」「旧淀川」に変わっていきます。いまは大川・堂島川・安治川が「旧淀川」として一級河川に指定されていて、中之島より上流が大川、または天満川と呼ばれています(Wikipedia「旧淀川」)。

あとから掘られた川に名前を持っていかれた。下克上、と言っていいと思います。

帰り道

橋の親柱に「大坂橋」の銘板。橋の向こうにライトアップされた大阪城が小さく見える
大坂橋。大阪城も見えるし、名前に相応しい

20時10分、橋の上。

「大坂橋」という名前でした。立派な名前です。しかもここから大阪城が見えます。名前負けしていません。

よく見ると「阪」ではなく「坂」です。これには理由がありました。

大正14年(1925年)3月、東横堀川の浚渫中に、末吉橋と九之助橋のあいだの川底から「大坂橋 天正拾三年」(1585年)と刻まれた擬宝珠(ぎぼし)が見つかりました。この擬宝珠は昭和6年に再建された大阪城天守閣に保存され、市民に公開されていたそうです。いまの大坂橋は昭和48年(1973年)に完成した自転車・歩行者専用橋で、大阪城公園と毛馬桜宮公園を結んでいます。390年ぶりに名前が復活した橋ということになります。架かっているのは寝屋川です(大阪市)。

木々の向こうに白く浮かび上がる、ライトアップされた大阪城天守閣
ただいま

20時11分、大阪城が見えました。

暗い中に白い天守閣が浮かんでいます。「ただいま」と言いたくなる景色です。

大阪城公園の石垣沿いの道が、両側の足元灯で照らされている夜景
本日もキレイにライトアップされております

20時16分。石垣沿いの道が、足元から照らされていました。

この時期、人が少なかったのを覚えています。ライトアップだけがいつもどおりでした。

公園内の噴水と石のモニュメント。奥に建物の明かりが灯っている
疲れたから終わり

20時24分、ゴール。13.1kmを1時間29分でした。

街の川を走るのも悪くない

この日の記録は13.1km、1時間29分。休憩は0分です。のぼりは41mしかありません。

ふだんは山ばかり走っているので、こういう完全に平坦な道は久しぶりでした。信号がなく、車も来ず、街灯もある。走ることだけに集中できます。

それと、走っていると看板が目に入ります。「毛馬こうもん」も「旧淀川」も「大坂橋」も、車で通っていたら気づかないものです。ゆっくり動いているぶん、街の情報が入ってくる。

この日走った13kmで、明治の治水工事の話にたどり着けたのは、そういう理由だと思います。

ちなみに当時の日記に、こう書いていました。「最近自粛ムードも出口に向かっている様な気がしますね。ただ単にこの空気感に慣れてきただけでしょうか。慣れが一番怖いとはよく言ったもので、気を抜かず完全収束するまで心を保ちましょう」。

関西の緊急事態宣言が解除されるのは、この9日後でした。

まとめ

  • 大阪城公園から大川沿いを毛馬閘門まで往復して13.1km・1時間29分。のぼりは41m
  • コース定数11の「やさしい」。信号も車もない遊歩道が続きます
  • いま「淀川」と呼ばれている川は、明治の「淀川改良工事」で北側に新しく開削された放水路です
  • きっかけは明治18年(1885年)の大洪水。約15,269町歩が最大13.3尺浸水し、家屋の流失は約1,600戸でした
  • もとの本流は1907年(明治40年)以降に旧川扱いとなり、呼び分けは「淀川」「旧淀川」に変わりました
  • いまは大川・堂島川・安治川が「旧淀川」として一級河川に指定されています。中之島より上流が大川(天満川)
  • 毛馬閘門は淀川と大川の水位差を調整して船を通す設備。1907年8月に毛馬洗堰とともに完成しました
  • 毛馬洗堰と毛馬第一閘門は、2008年に「淀川旧分流施設」として国の重要文化財に指定されています
  • 大坂橋(昭和48年完成)は、大正14年に東横堀川の川底から見つかった「大坂橋 天正拾三年(1585)」銘の擬宝珠にちなんで、390年ぶりに名前が復活した橋です。架かっているのは寝屋川

山じゃない日も、走れば何か見つかります。

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大阪城より旧淀川ランランラン / 山走男さんの大阪市の活動データ | YAMAP / ヤマップ

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