2020年3月15日、箕面から高槻まで歩いてきました。箕面の滝、勝尾寺、竜王山、阿武山をつないで34.9km。8時間11分かかりました。
使ったのは東海自然歩道です。こんな山奥の道を整備してくれた方々には、感謝しかありません。
先に結果を書いておくと、勝尾寺のおみくじは凶でした。
コースデータ
| 山 | 最勝ヶ峰・証如峰・竜王山(510m)・阿武山・弁天山/大阪府箕面市〜茨木市〜高槻市 |
| 日付 | 2020年3月15日(日) |
| ルート | 阪急箕面駅〜瀧安寺〜箕面大滝〜箕面ビジターセンター〜最勝ヶ峰〜勝尾寺〜証如峰〜北摂霊園〜忍頂寺〜宝池寺・八大龍王宮〜竜王山〜負嫁岩〜阿武山〜阿武山古墳〜弁天山〜JR高槻駅 |
| 距離 | 34.9km |
| のぼり/くだり | 1,712m/1,782m |
| 行動時間 | 8時間11分(9:55〜18:07/休憩56分) |
| コース定数 | 54(きつい)/標準タイム15時間3分 |
| 消費カロリー | 3,047kcal |
| 天気 | 晴れのち曇り |
| アクセス | 行き:阪急箕面駅/帰り:JR高槻駅 |
箕面は、東海自然歩道の端っこです

9時55分にスタート。10時18分、箕面大滝に着きました。
この滝がある明治の森箕面国定公園は、1967年(昭和42年)12月11日に国定公園に指定されました。明治百年記念事業の一環です。箕面滝は日本の滝百選に選ばれていて、古くから山岳修行の霊地としても知られてきました。公園の面積は963ヘクタールです(Wikipedia「明治の森箕面国定公園」)。
そしてここは、東海自然歩道の端っこです。
東海自然歩道は、東京の「明治の森高尾国定公園」から大阪の「明治の森箕面国定公園」までをつなぐ長距離自然歩道です。総延長1,748km、東京・神奈川・山梨・静岡・岐阜・愛知・三重・滋賀・京都・奈良・大阪の11都府県にまたがります。昭和45年(1970年)から整備されました(環境省)。
この日歩いたのは、その1,748kmのうち最初の数十kmです。高尾山までつながっていると思うと、道の見え方が少し変わります。

10時29分、猿に会いました。滝の手前では鹿も見ています。歩き始めて30分で鹿と猿。今日はいい日かもしれない、と思いました。
後ろに「サルに食べ物を与えないでね」という掲示があるのですが、本人はまったく気にしていません。
最勝ヶ峰の登りが、この日いちばんの難所
ビジターセンターから最勝ヶ峰へ登ります。階段とトレイルの登りがひたすら続きます。34.9km歩いた中で、ここがいちばんきつい区間でした。11時17分に最勝ヶ峰。

ここで正直に書いておきます。
11時22分、勝尾寺へ下る道に入ろうとしたところで、「立入禁止」の黄色いテープが張られていました。そのときは他に抜ける道が分からず、そのまま入ってしまいました。
あとから考えても、別ルートがどこだったのか分かっていません。これは真似しないでください。立入禁止のテープが張ってあるということは、そこを通ってはいけないということです。同じ場所に出たら、引き返して別の道を探すか、その日の予定を変えるのが正解です。書いておいて何ですが、良くない判断でした。
「王に勝つ」は畏れ多い、と辞退した寺

11時38分、勝尾寺に到着。日曜だけあって、けっこうな人出でした。
ここは「勝ち運の寺」として有名です。ただ、名前の由来を調べたら、かなりの話でした。
寺伝では、神亀4年(727年)に藤原致房の子の善仲・善算の兄弟がこの地で修行を始めたのが始まりです。約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子である開成が2人に師事して仏門に入り、宝亀6年(775年)に大般若経600巻の書写を終えて新しい堂に納めました。これが弥勒寺と名付けられ、直接の創建とされています。
そして元慶4年(880年)、住職の行巡が清和天皇の病気平癒を祈祷して効き目があり、天皇から「勝王寺」という寺号をもらいました。ところが「王に勝つ」という名前は畏れ多いということで、寺のほうから「勝尾寺」に差し控えたと伝わります(Wikipedia「勝尾寺」)。西国三十三所の第23番札所です。
天皇からもらった名前を、恐れ多いからと一字だけ変えて使う。1000年以上前の話ですが、そういう感覚があったんだなと思います。

境内はいたるところにダルマです。赤と白の小さいのが、棚にも、灯籠の上にも、石の隙間にも置いてあります。
これはおみくじについてくるダルマです。せっかくなので運試しをしました。

凶でした。
勝ち運の寺で凶。今日はいい日ではなかったようです。というか、今後1年ずっと悪いのでしょうか。
いやいや、あとは運気が上がるだけとも言います。そう自分に言い聞かせてルートに戻りました。

12時20分、証如峰。箕面の最高峰だと表示に書いてありました。ここから一気に下ります。下りは楽しい。苔に囲まれた道の雰囲気がとても良かったです。
閉まっていた食堂

14時7分、忍頂寺の竜王山荘に着きました。スポーツ施設があって、普段はご飯も食べられる場所です。
この日は、コロナ騒動で食堂が閉まっていました。自販機は動いていたので飲み物は買えます。
2020年3月15日です。緊急事態宣言が出るのはこの23日後で、当時はまだ「騒動」という言い方をしていました。それでも、山の中の食堂まで閉まっていました。
竜王山の七坂七不思議
14時51分に宝池寺と八大龍王宮、14時56分に竜王山の山頂です。
竜王山は標高510m。山名の由来は、開成皇子がここに来て池を掘り、八大竜王を招いたことから背後の山を竜王山と呼ぶようになった、という伝説です(Wikipedia「竜王山(茨木市)」)。
この開成皇子、午前中に通った勝尾寺を開いた人と同じです。北摂の山を歩いていると、あちこちで名前が出てきます。

この山には「竜王山七坂七不思議」というものがあります。案内標識でその文字を見つけて、面白そうだと思ったのですが、この日は2つしか回れませんでした。
1つめが岩刀山です。薬師如来が降臨されたと伝わる場所だそうです。

2つめが穴仏。戦国時代に、忍頂寺から薬師如来を避難させて安置した場所だと書いてありました。

15時27分、負嫁岩(おいよめいわ)。怠け者のお嫁さんがこの岩で休んでいたら、天狗に叱られたという話だそうです。
七坂七不思議のうち回れたのは2つか3つ。残りは次回です。
阿武山古墳は、藤原鎌足の墓かもしれない
下山時間が危うくなってきたので、できるだけ走りながら阿武山を目指しました。着いたのは17時ちょうど。気温は7度ほどでした。

17時の光は薄くオレンジがかっていて、きれいでした。おみくじの凶のことは、このあたりで忘れました。

17時11分、阿武山古墳を横目に下ります。この古墳が、けっこうすごいものでした。
昭和9年(1934年)の発掘調査で見つかりました。棺は漆塗りの麻布を貼り固めた夾紵棺(きょうちょかん)で、中には男性の人骨があり、玉枕と金の糸を使った冠帽がそえられていました。この副葬品から「貴人の墓」とされ、藤原鎌足の墓とする説があります。昭和58年に国の史跡に指定されました(茨木市)。
34.9kmの終盤、暗くなる前に下りたくて走っていた場所の脇に、そういうものがありました。石標の写真を1枚撮っただけで通り過ぎたのが、今となっては少しもったいないです。
17時40分に弁天山、18時7分にゴール。高槻駅までは走りました。
凶のあとに、ビール

いつもの高槻新温泉に寄って、そのあと焼き鳥とビールです。
34.9km、のぼり1,712m、8時間11分。消費カロリーは3,047kcal。コース定数は54で「きつい」に分類されます。自分で自分を褒めていい日だと思います。
凶を引いた日に、いちばんいいものを見た
この日いちばん記憶に残っているのは、勝尾寺の凶ではなく、17時の阿武山の光でした。
朝は鹿と猿に会って「今日はいい日かも」と思い、昼に凶を引いて「いい日ではなかった」と落ち込み、夕方の光を見て「なんだかんだ今日も良い日だったな」に戻る。1日のうちで評価が3回変わりました。おみくじの精度がどうこうというより、こちらの気分がころころ変わっているだけです。
ひとつ心残りがあります。竜王山の七坂七不思議を全部回れなかったことです。次はそこを目的にして行きます。
まとめ
- 2020年3月15日、阪急箕面駅からJR高槻駅まで34.9km、8時間11分。コース定数54(きつい)
- 箕面は東海自然歩道の端。総延長1,748km、11都府県をつないで東京の高尾山まで続いています
- 勝尾寺は元慶4年(880年)に清和天皇から「勝王寺」の号を賜りましたが、「王に勝つ」は畏れ多いとして「勝尾寺」に控えたと伝わります
- おみくじは凶でした
- 最勝ヶ峰から勝尾寺へ下る途中で立入禁止のテープの先に入ってしまいました。真似しないでください
- 竜王山(510m)の山名は、開成皇子が池を掘って八大竜王を招いた伝説から。開成皇子は勝尾寺を開いた人でもあります
- 阿武山古墳は1934年発掘。夾紵棺・玉枕・金糸の冠帽が出土し、藤原鎌足の墓とする説があります
YAMAP記事はコチラ
箕面の滝から勝尾寺でダルマ見て竜王山と阿武山通って高槻へ行きたい! / 山走男さんの竜王山・最勝ヶ峰・弁天山(大阪府)・阿武山の活動データ | YAMAP / ヤマップ
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