2020年4月25日、生駒山系を北へ縦断してきました。新石切駅から歩き出して、くさか園地、むろいけ園地を抜けて、飯盛山を越えて四条畷駅まで。14.3kmです。
テレワークで体がなまって、血流も冷えて、そこにこの快晴。もう山に行かない理由がありません。ただ遠くには行けないので、生駒山系を攻めることにしました。生駒山から北の飯盛山へ抜ける道は歩いたことがなかったので、そこを埋めるつもりで。
歩き終わってから調べたら、この日たどった線の上に、名前でつながっている場所がいくつもありました。
コースデータ
| 山 | 饒速日山・飯盛山(河内飯盛山/314m)/大阪府東大阪市・四條畷市・大東市 |
| 日付 | 2020年4月25日(土) |
| ルート | 新石切駅〜石切劔箭神社〜石切大佛〜くさか園地〜宮山(新林山・饒速日山)〜むろいけ園地・室池〜権現の滝〜楠公寺〜飯盛山〜四條畷神社〜四条畷駅 |
| 距離 | 14.3km |
| のぼり/くだり | 807m/816m |
| 行動時間 | 5時間11分(12:44〜17:55/休憩1時間25分) |
| コース定数 | 18(ふつう)/標準タイム5時間27分 |
| 消費カロリー | 1,433kcal |
| 天気 | 晴れ |
| 種別 | 登山・ハイキング(ソロ/電車) |
石切さんの「劔箭」は、剣と矢のことでした

12時44分、新石切駅からスタート。5分歩いて石切劔箭神社です。生駒山系に登るときは毎度お世話になっている神社で、この日も手を合わせてきました。コロナが早く治まりますように。
「石切さん」と呼ばれていて、腫れ物(でんぼ)の神様として知られています。参道の入り口と本殿前に「百度石」があって、そのあいだを行き来するお百度参りが全国的に有名です。写真の手前に写っている低い石がそれです(Wikipedia「石切剣箭神社」)。
気になったのは「劔箭」という字です。読み方は「つるぎや」。剣と矢のことでした。
神社の社史によると、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が「布都御魂劔(ふつのみたまのつるぎ)」と「天羽々矢(あめのはばや)」を持って天磐船に乗り、河内へ降りてきたとされています。その剣と矢が社名になっている、という説明です(Wikipedia「ニギハヤヒ」)。
この名前を覚えておいてください。2時間後にまた出てきます。
日本で三番目の大仏

12時58分、参道を歩いていたら石碑が目に入りました。
「日本で三番目 石切大佛」
一番でも二番でもなく三番。しかも自分で名乗っている。この潔さが気に入って、写真を撮りました。
あとで調べたところ、大仏の高さは6mで、蓮台まで入れると8m。1980年(昭和55年)に、石切で創業した阪本漢方製薬の4代目・阪本昌胤さんが建てたものだそうです。その8年前の1972年に石切山大仏寺を創建しています(号外NET 東大阪市)。
ただ、何を基準にして三番目なのかを説明した資料は見つけられませんでした。奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして石切、という順番だとは思うのですが、そこは分からないままです。
「宮山」の看板に釣られて、道が消えた

13時25分、分岐に出ました。いつもは生駒山上へ向かうところですが、この日は北へ抜けたいので「宮山」の矢印に従います。
矢印の先を見ると、明らかに獣道でした。それでも看板が指しているので、進みます。

13時31分、宮山方向を示す看板をもう1枚見つけました。ただ、木に半分飲み込まれています。取り付けてから何十年か経って、幹が太くなって、看板をくわえ込んでしまったようです。

そのあとが問題でした。地図では赤い実線のルートなのに、実際は藪です。写真では分かりにくいのですが、この草木の中から道が出てきました。道と呼べるものはありません。
このルートは参考になさらないでください。同じ区間を歩くなら、素直に生駒山上経由をおすすめします。
14時39分から14時44分にかけて、新林山と饒速日山を通過しました。看板が「宮山」と書いていた場所です。
饒速日山。朝に手を合わせた石切劔箭神社の、あの饒速日尊です。神社を出て2時間歩いた先に、同じ名前の山がありました。饒速日尊は神武天皇より先に大和に鎮座していたとされる神で、物部氏の祖神とされています(Wikipedia「ニギハヤヒ」)。
歩いているときは、ただの読みにくい山名だと思っていました。
自販機の前で、宴会をしている連中がいた

15時7分。山の中の道端に自販機があって、その足元にたぬきの置物がずらりと並んでいました。
この時期、人が集まって飲むことは全部よくないことになっていました。それを横目に、この連中は堂々と車座です。うらやましくなりました。
むろいけ園地の室池は、江戸時代のため池

15時39分、室池に着きました。むろいけ園地は大阪府民の森のひとつで、総面積49万平方メートル。池を中心に散策道が通っています(大阪府民の森)。
景色のいい池だと思って歩いていたのですが、この池は江戸時代に造られたもので、いまも四條畷市の水源として使われています(四條畷市)。ため池です。
このあたりは車で来られることもあって、親子連れがちらほら歩いていました。みんな家にこもりきりで、ストレスを発散しに来ている感じです。
ただ、すれ違うときのあいさつが、簡単な会釈になっていました。声を出すのがはばかられる空気で、少し寂しかったです。あれもこれもしてはいけない、という情報の中で、みんな葛藤しながら外に出ていたんだと思います。

15時47分、猫にははっきり拒否されました。こちらは会釈もしてもらえません。
権現の滝と、三つに裂けた龍

16時11分、権現の滝に到着。ここは前から好きな場所です。この日は長時間露光でも撮ってみました。iPhoneでこれが撮れるのはすごい。
高さ15mの滝で、龍の伝説が残っています。
奈良時代、日照りが続いて困っていた村人のために、行基が雨を祈願しました。すると龍が現れて大雨を降らせ、そのときにできたのがこの滝だとされています。そして龍は三つに裂けました。村人は、頭が落ちた場所に龍光寺、胴が落ちた場所に龍間寺、尾が落ちた場所に龍尾寺を建てたそうです(ぐるり生駒山系)。
三つの寺の名前がいまも残っているところが好きです。話としては雨乞いの伝説ですが、地名と寺の名前が伝説の続きをやっている感じがします。
飯盛山は、三好長慶の城でした

16時38分、楠公寺。そこから山頂へ上がります。

16時44分、飯盛山(河内飯盛山)に到着。標高314.3mです。山頂は大東市で、四條畷市との境にあります。大阪平野がまるごと見渡せて、この日は快晴だったので遠くまでよく見えました。
この山頂一帯が、そのまま城跡です。
三好長慶が永禄3年(1560年)11月、高槻の芥川山城からここへ拠点を移しました。城の範囲は南北約700m、東西約400m。長慶は永禄7年(1564年)に、この城の中で亡くなっています(四條畷市)。
芥川山城は、高槻の三好山にあった城です。以前そちらにも登っていて、山頂の広場が城跡だと知ったときは驚きました。その長慶が最後に移った先が、この飯盛山だったわけです。高槻から四條畷まで、直線でおよそ15km。自分は別々の日に、別々の理由で、同じ人の城跡を2つ歩いていたことになります。
飯盛城跡が国の史跡に指定されたのは令和3年(2021年)10月11日です。この日歩いたときは、まだ指定前でした。
山頂にはもうひとつ、1938年(昭和13年)に建てられた楠木正行の銅像があります。吉野山の方角を向いて立っているそうです(Wikipedia「飯盛山(生駒山地)」)。
最後は四條畷神社

17時39分、山を下りて四條畷神社です。ここでも手を合わせました。早くコロナが治まりますように。
主祭神は楠木正行。山頂の銅像と同じ人です。正平3年(1348年)1月、この一帯で高師直・師泰の率いる北朝軍と戦い、敗れて自害しました。四條畷の戦いです。神社が創建されたのはずっとあとの明治23年(1890年)で、飯盛山の山麓に建てられました(Wikipedia「四條畷神社」)。
17時55分、四条畷駅でゴール。
14.3kmの線の上に、いくつも名前が並んでいた
この日は、生駒山から北へ抜ける道をつなぐのが目的でした。歩いているあいだに考えていたのは、心肺と筋肉が明らかに衰えているということと、汗がすごいということくらいです。
それが、書くために調べてみたら線がつながりました。石切劔箭神社の「劔箭」が饒速日尊の剣と矢で、途中に饒速日山があって、飯盛山は三好長慶の城で、その麓の神社は楠木正行を祀っている。
知らずに歩いても14.3kmは14.3kmです。ただ、あとから名前の由来をひとつ拾うだけで、同じ道が別の道に見えてきます。次に同じルートを歩くときは、饒速日山でちゃんと立ち止まろうと思います。
あと、権現の滝は何度行ってもいい場所です。
まとめ
- 2020年4月25日、新石切駅から四条畷駅まで生駒山系を北へ14.3km、5時間11分
- 石切劔箭神社の「劔箭」は、饒速日尊が持っていた剣(布都御魂劔)と矢(天羽々矢)から。途中に饒速日山があります
- 石切大佛の石碑には「日本で三番目」。高さは蓮台まで入れて8m、1980年建立です
- 宮山方面の赤実線ルートは藪でした。おすすめしません
- 権現の滝は高さ15m。行基の雨乞いで現れた龍が三つに裂け、頭・胴・尾が落ちた場所に龍光寺・龍間寺・龍尾寺が建てられたと伝わります
- 飯盛山(314.3m)は三好長慶の飯盛城跡。1560年に高槻の芥川山城から移り、1564年にこの城で没しました。2021年に国の史跡に指定されています
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